先月から今月にかけての1ヶ月弱で、自分の中の何かが変わった。
オンライン中にも話してはいるが、『身体』と『意識』が分かれ始めた。

俗に言う『身体』『心』『魂』からなる我々人間の構成物のうち『身体』のパートと『心、もしくは魂』の内どちらかの部分の輪郭がはっきりわかった気がした。
    
僕は仕切りに”意識”と言っていたけれど、この感覚が出てから色々調べた結果、これは多分『魂』だと結論付けた。
    
先月から今月にかけて、『身体』と『魂』のありかと輪郭が、はっきりしたのだ。”身体は魂の器”と言うけれど、それが実感としてわかった。
    
僕の物質的な身体(足や手や筋肉や内臓や血管や脳など)は、僕であって僕のものではない。何か他人ごとのような感覚だ。
    
そして『魂』の方が、どちかというと自分のような気がしてくる。そーいうと、『魂で自分の体を操ってるんですね』と言われそうだが、そうではない。
    
魂が自分ごとの感覚というのが、どういったものかをお伝えしたいと思う。

その『魂』には感情がない。想いもない。あえて名前をつけるならそれは『無』だ。僕ごときが”無の境地”の話をしていいのかどうかは迷っていたが、最近少し、考えが変わった。

”無”というものが、何かとてつもなく超人的で、誰でもが手に入れられるものではなく、ほんの一部の選ばれしものだけが悟れる境地・・・みたいなイメージがあるかもしれないが、

それは意外とあなたのすぐ近く、案外すぐに手に入れられるもののように感じてきた。
    
そしてそれを見つけたからと言って、突然現在の状況が大きく変化する訳でもなく、突然夢が叶う訳でもない。
    
ただ一つ言えることは、それを見つけると、”ほんわか幸せ”と思う瞬間が増えて、その時間が長続きするのだ。誰かが言っていたような気がするが、『幸せには今すぐなれる』ができるのだ。
    
むしろ“幸せ”というのは”なれる”ものではなく”すでにそこにあるもの”だという事を完全に理解できる。

もしそれで、、、その感覚で毎秒、そして一生いられたら、別にトレーニングなど、必要ないではないか?体調が良くても悪くても、もし『ほんわか幸せ』でいられたら、それでいいではないのか?

それでも僕はトレーニングを勧める。僕がトレーナーだからこう思う。それは分かっている。それでも、一歩引いてこの現象を眺めた時、そこにはこの『物質的な身体』の役割が非常に大きいことがわかる。

続く。